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ドミニコNOW

アーカイヴ

このページでは、2011年の会報No.38の記事からピックアップ。




─仙台より─
東日本大震災のご報告と同窓会皆様への感謝を込めて

聖ドミニコ学院 理事長 メール・マリア・アニエス(鈴木かな子)

 この度、東日本大震災におきましては同窓生の皆様から仙台地区のメールたちの身を案じ、また聖ドミニコ学院をご心配くださり、心温まるお見舞いの連絡、具体的な支援の申し出、支援物資の提供等のご援助を受け、皆様に支えられましたことは心強く、心より感謝申し上げます。お陰様で生徒、教職員、及びメールたちは全員無事でしたことを改めて感謝申し上げます。
 3月11日の地震発生時、生徒達はまだ学院に残っていた時刻でした。突然、ドーンと突き抜けるような揺れからこれまでにない激しい揺れを感じ、校内は即、停電になり、放送設備が使えず、6〜7分の揺れがおさまるのを待って、教師の生の声での呼びかけを行い校庭に一時避難をしました。寒い中、生徒達は約30分、余震の状況を見ながら待機し、その後、昨年落成したヴェリタス館聖堂に移動しました。
 聖堂では生徒達、その家族、そして近隣から避難されてきた方、それに教職員とで150名で夜を明かしました。途中、小学生と幼稚園児は保護者の迎えがあって少しずつ帰宅できましたが、中学・高校生は家庭との連絡が取れずに、聖堂内で2日目の避難生活に入りました。最後の生徒は家が浸水し、道路は瓦礫で車が通れない状態でしたが、14日の夜、トラックで母親のいる避難所に生徒を送り届けることが出来ました。幸い、地震発生時に生徒達は学校にいましたので、全員無事だったと思います。しかし他の私立高校は地震前日に試験が終わり自宅学習に入っていたため地震、津波に遭い、亡くなり、行方不明となる生徒がいらしたことは心痛いことでした。
 学院校舎は4階の高架水槽タンクのひび、水漏れ、また壁の亀裂と剥離、その他の損傷がありましたが、4月22日の中学・高等学校の入学式までには応急処置をとることが出来ました。
 しかし、時間を追って明らかになる被害状況は教師の父親が津波で流されたり、公務員の仕事上過労死されたり、更に被害は生徒たちの家族に及んでいることが明らかになってきました。
 家屋が流出、全壊、半壊、床下浸水、一部損傷等、また、保護者の会社が流され、全壊して仕事を失った家族…等、今後、その生徒たちのためには学院として長期的に経済的支援をしていかなければと思っています。また親戚・友人・知人を津波で亡くされた生徒は深い心の傷を受けています。
 このような状況を背景にして、聖ドミニコ学院の生徒達は津波で亡くなられた方々を思い、自分は今、生かされていること、その生かされている命を意味ある生き方とすることを使命として、希望を失わずに強く生きようとしています。そして今回の震災を通して多くの方々との間で生まれた支え合いと分かちあいの絆を宝として生きていこうと言う熱い思いを持っています。更に、今尚続く行方不明者の捜索、原発事故の収束を希望ある方向へと進むことをお祈りいたします。

同窓会会報 No.38(2011)より




─3・11  その時小学校は─

 地震発生の14時46分、聖ドミニコ学園小学校の3〜6年生はちょうど6時間目が終わって終礼を行っているところでした。日頃の訓練通り、揺れと同時に机の下に潜り、地震が収まるのを待ちました。交通機関が止まったというニュースが流れ、生徒は下校待機となり、強い揺れに涙した子もいましたが、「今日は先生がお母さんだね」と、和やかな雰囲気になりました。
 ところが、1〜2年生にとっては、下校スクールバスを降りた直後のできごとでした。教師が各駅に急行。用賀駅方面では、まだ電車に乗っていない子はガードマンと一緒に駅ビルの安全な場所に避難後、スクールバスで学校に戻りました。すでに電車に乗っていて車内に残された子もいましたが、居合わせた卒業生が機転を利かせて二子玉川駅で声をかけ、学校まで一緒に徒歩で戻りました。(この子どもたちは元気よく「ただいま!」と校舎に入ってきました。)
 上野毛方面では、電車にいた十数名の子どもたちを、一緒にいた保護者の機転で、尾山台小学校の体育館で待たせていただき、迎えのスクールバスで学校に戻りました。また改札で戸惑っていた子どもたちを、近くに住む米田前教頭先生がすぐに保護してくださいました。
 成城方面では、同じく保護者の機転で、カトリック成城教会に一時避難した後、迎えのスクールバスで学校に戻りました。どの方面も、2年生が1年生の手本となり、日ごろから交通委員として面倒を見ている縦割り活動が、低学年ながら実に活かされていました。
 夕方、学園にストックされた乾パンが生徒たちに配られましたが、夜には給食室の厨房で備蓄米の炊き出しが行われ、温かい食事を取ることができました。また、すぐに卒業生が訪れて残留生徒数を確認し、鶏の唐揚げなどのおかずを差し入れてくれました。
 小学生から高校生まで、宿泊したのは約130名。教職員は95%が宿泊し、夜通し交代でお迎えの対応にあたりました。そして翌朝、午前10時過ぎに全ての児童生徒の引き取りが終わったころ、卒業生が教員室を訪れ、「先生方、お疲れ様でした!」と、手作りのクッキーを持って慰労に来てくれました。
 そこにいるすべての子どもたちをわが子同様に守ってくださった保護者の方、駅で戸惑う子どもたちに声を掛け、学校まで送ってくれた卒業生と旧職員。温かい食事を差し入れてくれた卒業生。臨機応変に現場に急行された教員の方々。最後まで共に過ごしてくれたバス運転手や給食スタッフをはじめとする職員。正門で夜通し対応してくれた守衛さん。相手を大切にするために自分を生かし、祈りとともに具体的な行動に移せる「ドミニコファミリー」。その安心感は昔も今も変わりません。

同窓会会報 No.38(2011)より

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